10/22/2011

日本の製品がダメになる理由

日本の製品って基本的には良いモノだと思います。実際に使っていると細かい部分まで配慮されていたりします。使い勝手は「良い」と思います、だけどそれはユーザーの声を集めた結果に過ぎないという一面もあります。「こういう機能があれば便利」「こなっていれば使いやすい」とかね、その集大成でもある様な気がします。だから基本的には細かいところにも使いやすさというのが出てくるモノが多いです。
これは逆に考えればユーザーへの企業からの「媚び」とも考える事が出来る。企業理念や商品の主張などを感じられないモノが多くなってくるわけです、日本の商品は企業が導いて市場を作るのではなく、市場が商品を作り上げているとも言えます。ユーザーのニーズに答えるという事は大事な事です、だからこそ質の良いモノをこの国は作り上げてきたと言えます。ですがそのユーザーの声が強くなってきた事に今の日本製品の弱点が生まれた様な気がします。

それは製品開発というモノを作る現場がモノをクリエイトするのではなく、周囲の声を拾ってモノを作るからだと思う。
昭和の時代の日本の商品には「攻める」姿勢があったと思う。だけど今の日本製品から、その「攻める」姿勢はあまり感じ取れない。確かに「攻め」だけでは良いものは作れないかもしれないけど、どこかに「攻める」部分が無ければモノに命が宿らないのではないかと思う。今の日本の商品には作り手の心を感じられるモノが残念ながら少ないのが現実だと思う。

日本のユーザーに特化しすぎて国際的な競争から脱落してしまったのが今日の携帯電話市場であると思う。確かに世界的にみても多機能であり、高性能な機種が多いとは思う、ただそれが世界のマーケットとしてみた時に受け入れられるものなのか?確かに通信規格の問題もあって日本の携帯電話機種は世界に遅れをとった。だが通信規格の問題でけではなかったと思う。i-modeというシステムも日本では受け入れられたけど、世界では失敗だったと思う。現実にこのオーストラリアでもi-modeを展開していたけど、最終的には撤退する事になったのは海外ではユーザーに支持されなかったという事であろう。僕はi-modeは諸刃の剣だと思っている、i-modeやそれに類似する各キャリアのサービスのおかげで日本でのネット普及率というのは一気にアップしたと思える。だがそのi-modeのおかげで日本独自の世界ができてしまったのも事実であろう。
実際にi-modeが普及し始めた頃の海外メーカーの作る携帯機種などは面白いぐらいに比較すると機能が無い携帯電話であった、まさしく電話をするための携帯電話であったと言える。だからこそビジネスチャンスはあったはずであるが、結局はそれを国際社会に通用するモノに仕上げる事ができなかったのは残念である。
日本に特化してしまったからこそ、そこから抜け出す事が出来ずに時代の変化を迎えてしまいスマートフォン時代に追いつけなくなってしまったのではないだろうか?

ユーザーを意識する商品展開は大切ではあるけど、誰もが想像出来るモノを作るのでは意味が無い。

ユーザーに媚びないで商品を提示し、その商品から派生する生活までを想像して創造する、商品を作る事とは本当に奥深い世界であると思う。その深さは今の日本には足りてないのだと思う。

この国には技術はある、だからこそ技術に頼りがちになってしまうのかもしれない、技術と共に想像する力を鍛える事でもっと素晴らしいものが作れるはずである。

近年でこうした姿勢を見せてくれていたのはアップルだと僕は思う、そこには故スティーブジョブス氏というカリスマが君臨していたから成せた事かもしれない、彼の創造した世界はユーザーには媚びていない、もしろ新しい道をユーザーに提示して新しい世界を見せてくれたのだと思う。

日本にも過去にカリスマと呼ばれる経営者がいたが、今の日本の商品からそうした顔が見える商品は無いと言えるのが現実だと思う。


なんとなく最近思っていた事を書いてみた、あくまでも僕個人の思う事であって、何も分析などはしていないけどね。今世界の中で日本の製品が負けつつある、良いものを作る技術はあるのだが、世界のマーケットの中で過去に日本が得意としていた分野で確実にシェアを新興勢力に食われていると感じるから、今の技術を更に伸ばしつつも、もっとソフト面の強化をする必要があるのではないかと思うのです。

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